母なる樹
樹は立ち上がった水だ、という表現がある。
夜、実体としての木々が姿を消した真っ暗な樹林で、もし樹々の内部を流れる水だけが蛍光を発して浮き出してきたとしたら、ぼーっと立ち上がった、緩やかに踊る水柱の群れが、さぞ美しいことだろう。
私たちの身体もその七0%が水であり、「歩く水袋」のようなものだが、樹々の場合はことさらに水が地面から大きく伸び上がり、手をいっぱいに広げて自らを成就するような垂直性の喜びを表現しているように感じられる。
春先などは特に、樹々の太い幹に耳をあててみると、その中をゴボゴボと勢いよく地下の水が立ち昇っているさまが手に取るようにわかる。
冬のあいだ凍結による組織破損を防ぐために、ほとんど水を吸い上げていなかった木々が、春になると新たに地下の水脈に呼びかける。
枝の先端についた幾多の新芽が、自らの秘めもつ水分からほんの少しずつ小さな水の種子を出し合って、もう一方の先端である根に「誘い水」を送るーこれが大地と水脈に向けての木々たちの最初の挨拶だ。
するとそれに呼応して、このいまできたばかりの「水の道」を大地の血液が毛細管現象でひたひたと昇りはじめる。
人知れず地下を水平に伏流していた水が、樹木という生命のかたちを借りて、突然そこら中でうれしそうに立ち上がる。
そして螺旋を描いて舞い踊り、重力に抗して昇華された水の運動が文字通り「花」となってそこらじゅうで咲き乱れ、また甘い樹液となってほとばしり出る。
樹が静止した物体に見えるとすれば、それは私たちの生命感覚のレンジが狭すぎるだけなのだ。
宇宙樹 cosmic tree / 竹村真一